altered-states’s blog(@zapabob)

線維筋痛症闘病生活と微笑ましい日常をアップします

はじめまして!こんにちは、こんばんわ! altered_statesと申します。

はじめまして!こんにちは、こんばんわ!

altered_statesと申します。

当ブログでは成人発達障害当事者としての日常所感と趣味こだわり、興味関心についてつらつらと取りまとめのないゆるい感じで書いていきたいと思います。

今週の月曜日からいよいよストラテラの処方がスタートしいろんなことに前向きになれたことからブログを書こうと思い立ち上げました。

  1. 学生時代

高校生時代からPDD起因で対人関係に大分問題があって不登校気味に

その他にも遅刻、注意欠陥、興味のないことに取り組めない症状は自覚していました。不登校によって大分理系科目に穴が空いたせいで記憶があいまいな分野が生まれたり

しましたが無事卒業、センター試験で全然点が取れずに当然志望していた医学科へいけず浪人を選択し一年間の浪人生活が始まりました。

予備校の選抜試験で某S予備校の医系コースに進みましたが内容が難しく3ヶ月でやめ宅浪へ。

宅浪を選びましたが実家の家業を夏に手伝ったり自宅学習での集中がなかなか困難であったりしてあまり学習効果をえられないまま再びセンターを受験

滑り止めの滑り止めで神楽坂にある大学の化学科に進学。

大学時代には友人にも恵まれ大学での勉強も大分慣れてきたので順調かと思いきや、興味のない教養科目をサボり始めたり、実験レポートもギリギリで終わらせるような綱渡りが暫く続きました。

しかしながらそれは長くも続かず高学年になるにつれ卒業単位が危うくなることに

今考えると二次障害からくる鬱でしょうか、とうとう実験当日に実験にいけなくなり単位を落してしまいました。

バイトも勤怠の関係からクビになることも多く自信を大きくなくしていたことも一因かもしれません。

四年時になり卒業研究を取ろうと思うも単位不足で研究室に配属されずゼミの受講を余儀なくされ完全に大学へ通う熱意もなくなってしまいました。

再履修でも実験にいけずこのままだと留年確実というところで実家の経済状態の悪化で

下宿を畳み実家から東京まで普通電車でかよう日々がしばらくつづきました。

留年してでもいいからとにかく卒業しようと思い直した矢先、学費が払えないからやめて実家で働いてくれといわれ泣く泣く退学しました。