altered-states’s blog(@zapabob)

線維筋痛症闘病生活と微笑ましい日常をアップします

とにかく痛い!発達障害と線維筋痛症の関係?

最近、上肢全体に痛みが広がり痛みにうめき声をあげていますw
トラムセット朝夕の処方では恐らく不足でかかる水曜に再び整形外科に外来で訪れたいと思います。

さて、よく言われるのが発達障害と、線維筋痛症慢性疲労症候群が併発しやすい 1)とのことですが実例として実感する日々です。
とにかく痛い!とだけしか言えないのですw

 

最近、上肢全体に痛みが広がり痛みにうめき声をあげていますw
トラムセット朝夕の処方では恐らく不足だろうとのかかりつけ薬剤師の助言で、かかる水曜に再び整形外科に外来で訪れた上で専門医への紹介状を出してもらうか、リリカの併用の提案を考えようかと思います。

1) https://susumu-akashi.com/2015/01/cfs-asperger/

より引用

もしかしたら線維筋痛症かも?

ここのところ筋トレしたり事務作業をこなしていたのですが肩甲骨の裏に激痛が…それ以外にも膝や手のひらの真ん中、体の各所が刺されたように痛むことも以前からありました。

内臓からくる痛みなのか筋骨格からくるのか確かめるために急遽外来へ。1日にレントゲン7.8枚とCTを受けるハメに。しかし内臓も骨格も異常が見られないためロキソニン内服14日続けても痛みは全く取れず整形の定期外来へ。

痛みの続くことや痛む個所をいうと処方がいきなりトラムセットに変更、これから長い闘いですよとボソッと言われあーこりゃ線維筋痛症だなぁという感じでした。

日に日に痛みの激しさも痛む個所も増えていくので薬剤師さんに相談の上もう一度整形に出向いてみようと思います。

トラムセットが切れる頃になると身体中が痛いです。

私の発達障害特性とストラテラ

ADHDの飽きっぽさなんでしょうか単なる筆不精とも言いましょうか・・・(ただドラクエのクリアに過集中してしまったともw)

大分日が空いてしまいましたねw

私の現在の診断書上の障害は主:鬱病 従:広汎性発達障害 となっており特に今のところADHDの確定診断は降りているわけでなく現時点ではストラテラを投薬されているといっただけで、来年更新する手帳更新の際に分かるのではないかと思います。

 

WAIS-3を受検した結果 言語性IQと動作性IQの差が30以上ありました。30以上の差がある場合統計学上有意に何らかの発達障害があることは間違いないとの文献も有りますし、自覚としても所謂定型発達の人とは異なる思考ルーチンや認知の違いは感じていたので納得でした。人とうまくやっていけないのはASD由来なのだと確信して安心やら残念やら…

発達協調運動障害もあるので球技、ダンス、細かい手作業はおろかおそらく車の運転も出来ないのではないかと思っています。

 

ただ広汎性発達障害(現在のASD:自閉症スペクトラム障害)の特性(社会性、コミュニケーション、想像力等の欠如)だけではない社会生活上の問題が多く、かねてからADHDの併存も有るのではと思っていました。朝に弱い、時間にルーズ、ケアレスミスの多さ、集中力のなさetc.etc

通院するたびに訴えますが、貴方には必要に思えないと言われ続けました。けれどGATBの結果やブプロピオンの話をするとやっと試しにストラテラが投薬されました。

1ヶ月40mg/dayで試してみましたが効果はテキメン!

こんなに普通の人は物事を楽に行うのかという気分を味わえる処方でした。

物事の見通しがつけやすくなったり朝ちゃんと起きる事が出来るようになったり今のところベネフィットが上回っています。

欲を言えば、コンサータも試してみたいところですがどうやら私にはあっていなさそうなのと主治医が懐疑派(認定医持っていない)であることから処方は難しそうです。

今日通院してストラテラが80mg/dayになりこれからどんな感じに推移していくのか期待しています。

ただ喉の渇きとかは結構キツいのでそれはそれでツライですが皆さんがおっしゃられるほど胃腸症状で悩む事なく投薬できているのはいい事だと思えます。f:id:altered_states:20170807213731j:image

手帳交付から自死失敗、そして今へ

そうこうするうちに手帳の交付を受けます。

それでもなお続く行政からの過剰な就労への期待に私の心は完全に砕けてしまいました…

そうOD(オーバードーズ)…それももっとも毒性の高い3環系抗うつ剤を主としたものです。

泣きながら衝動的にモグモグと食べて数分までの意識しか記憶にはありません。

次に目覚めたのは全身麻酔からさめた時だったと思います。辛いと言われている胃洗浄、活性炭吸着などは一切わからず心肺停止状態になっていたと姉から後に聞かされました。

明らかなせん妄状態でした。横にプロポフォールがありここで警察に拉致監禁されているとでも思ったのでしょうかねw まだ旧薬事法での規制制定直後だったのでその前まで嗜んでいた諸々への罪の意識だったのでしょうか。

見知った男性看護師に怒鳴り散らすわ暴れるわでICUは大騒ぎ…しかし事態が飲み込めてきたのかセレネースを要求して再び昏睡状態に陥ったそうです。

それから数日間は生死の境を彷徨う危険な状態が続いたそうです。

そしてはっきりと意識を取り戻した時人工呼吸器が挿管されていて苦しかったのを覚えています。しゃべれないけれど母と意思疎通がとれたのは嬉しかった。。。

それからもまだまだ心機能に異常があるので2日ほど入院は続きました。

KClの注射(mEq間違えたら心停止しますし)なんて怖いものはもう懲り懲りですw

当然某災害医療センターのICUですから生と死は紙一重のセカイ。

隣りにいる人があっという間にあちら側に旅立つ、医師の死亡診断すら惜しいと言った容態の急変などを見ていると、なんて自分は愚かな生き残るような手段で遂行したのかと言った気持ちとオマケの生きるチャンスを頂いたのだという二律背反の感情がないまぜになったことが印象深かったです。

退院の朝、総回診で救急救命科のDr.のおっしゃったことは致死量を遥かに超えていたはずなのに生きているなんてラッキーだよとも記憶に深く残ってます。

退院してから精神病棟のある病院にも行かずそのまま帰宅、翌日にはかかりつけのメンクリでたっぷり怒られたのも苦い思い出です。

翌年までのんびり過ごしたのち今の現業につくことができました。個人情報やらなんやらで明かすことはできませんが同じ障害を持つ子どもたちと触れ合う仕事です。

そこで働きながらも精神科デイケアに通所したりツイッターで爆発炎上したりしたのは次回にとっておきたいと思います。

今回も乱文雑文ですがここまで読んでいただいてありがとうございます。

よろしければなにかしらTwitterなりコメント欄に何か反応をいただければ幸いです。

それではまた…

診断に至るまで

前回よりだいぶ時間が開いてしまいましたorz。ここのところ発達障害関連のイベントが多くやっと落ち着いて物事に取り組める時間が出来ました。

先日は発達障害当事者会フォーラムにパネリスト団体枠で入場。

政治、行政面からの発達障害当事者へのアプローチが増えつつあるのを実感しました。

当事者会同士でのパネル・ディスカッションなどもありましたが口渇がひどく

また、まぁ当然じっとしているのは耐えられず会場内をウロウロとしていました。

様々な当事者団体や就労移行支援のPRコーナーが印象的でした。

今度Neccoさんの当事者会参加したいと思います。(よろしくお願いします)

 

さて、本題の通り診断に至るまでの道筋を書いていこうと思います。

大学を四年時に中退、半年以上実家の家業を手伝っていましたがあの震災のあった年父が突然急逝。事業が廃業になってしまいました。

様々な方々のお力添えにより現在の居住地に母ともども二人暮らしがスタートしました。

福祉のお世話になったためやっとメンタルクリニックにかかることを決意。

近くにある発達障害を見れるとwebで調べをつけたクリニックへ受診。

カウンセリングなどを受けましたが最初はうつ病とのことで治療がスタート。

しかしながら就労指導、就職活動などがプレッシャーとなりかなりの抑うつ状態は更に悪化の一途を辿っていきました。

半年ほどでやっと入社できた会社もいわゆるブラックでいきなりの出張研修、当然のような残業でしまった、失敗した・・・と感じました。

研修が終わった後は某電機企業の工場に派遣され通信機器などを組み立てていました。

最初は飲み込みが早かったことからプロパーにもなかなかの高評価を頂いていたと思います。残業夜勤を精力的にこなし夜勤シフトのリーダーにまでなることが出来ました。

新規製作製品のため改修作業が多くプロセス化されていない作業が殆どのためミスを多発。集中力のなさも他者から指摘されるのははじめてでした。

慣れと(今考えるとAD/HDから来る)ケアレスミスは増加をするばかりで段々と評価は左下がり。

ついに同じミスを立て続けに連発したところプロパーの上長から事実上の業務左遷をうけ完全に心が壊れてしまいました。

年が変わりだいぶ立ってからのことです、完全に疲れ切っていた私も年に一度の社内検定を受検しなくてはなりません。

この試験に落ちればクビという試験で私だけ落ちるという今までで一番ショックな出来事がありました。

当然次の月から会社都合で良いから辞めてくれという言葉が…「お前は細かい作業は向いていない、頭を使った仕事のほうがいいだろう」という褒めているのかなんというかそんな言葉をいただき退職に至りました。

それからも通院を続けながら求職していましたがなかなか見つからず、ついに精神保健福祉手帳を取ることに。

カウンセリングで自分の特性についてマシンガントークしたのち頂いた診断書に主:うつ病 従:広汎性発達障害 と記載されやっと自分の特性は発達障害由来であると医学的心理学的に認められた!そんな変わった印象の自己受容でした。

次回は手帳交付からの自死失敗を書こうと思います。乱文雑文失礼いたしました。

はじめまして!こんにちは、こんばんわ! altered_statesと申します。

はじめまして!こんにちは、こんばんわ!

altered_statesと申します。

当ブログでは成人発達障害当事者としての日常所感と趣味こだわり、興味関心についてつらつらと取りまとめのないゆるい感じで書いていきたいと思います。

今週の月曜日からいよいよストラテラの処方がスタートしいろんなことに前向きになれたことからブログを書こうと思い立ち上げました。

  1. 学生時代

高校生時代からPDD起因で対人関係に大分問題があって不登校気味に

その他にも遅刻、注意欠陥、興味のないことに取り組めない症状は自覚していました。不登校によって大分理系科目に穴が空いたせいで記憶があいまいな分野が生まれたり

しましたが無事卒業、センター試験で全然点が取れずに当然志望していた医学科へいけず浪人を選択し一年間の浪人生活が始まりました。

予備校の選抜試験で某S予備校の医系コースに進みましたが内容が難しく3ヶ月でやめ宅浪へ。

宅浪を選びましたが実家の家業を夏に手伝ったり自宅学習での集中がなかなか困難であったりしてあまり学習効果をえられないまま再びセンターを受験

滑り止めの滑り止めで神楽坂にある大学の化学科に進学。

大学時代には友人にも恵まれ大学での勉強も大分慣れてきたので順調かと思いきや、興味のない教養科目をサボり始めたり、実験レポートもギリギリで終わらせるような綱渡りが暫く続きました。

しかしながらそれは長くも続かず高学年になるにつれ卒業単位が危うくなることに

今考えると二次障害からくる鬱でしょうか、とうとう実験当日に実験にいけなくなり単位を落してしまいました。

バイトも勤怠の関係からクビになることも多く自信を大きくなくしていたことも一因かもしれません。

四年時になり卒業研究を取ろうと思うも単位不足で研究室に配属されずゼミの受講を余儀なくされ完全に大学へ通う熱意もなくなってしまいました。

再履修でも実験にいけずこのままだと留年確実というところで実家の経済状態の悪化で

下宿を畳み実家から東京まで普通電車でかよう日々がしばらくつづきました。

留年してでもいいからとにかく卒業しようと思い直した矢先、学費が払えないからやめて実家で働いてくれといわれ泣く泣く退学しました。